2006/06/02 (Fri)

last two weeks #2

今回、和歌山の実家にいる間に少し時間があったので、私が通った幼稚園、小学校、中学校にふらりと立ち寄ってみました。いろんなものがなくなっていて、ちょっと寂しい気分になりました。

まず幼稚園。
sx70may06japan-011.jpg私がいたころは、さくら組とか、うめ組、とかお花の名前がついていたのですが、私が窓の外から見かけた名前はそら組とかにじ組とか。むかしもそんなのあったのかなーと、遠い昔の記憶を辿ってみたのですが、思い出せませんでした。子供達の数の減ったせいもあるのか、建て直された建物も前より小振りになってるよな。でも実はよく覚えてません。

小学校。
私が通った小学校は幼稚園と同じ敷地にあります。こちらも建物が新しくなっていて、昔あった木造の校舎はなくなってました。確かその木造校舎のなかに、週に一回(ん、月に一回だったかも)開く子供銀行というのがあって、その日になると数百円を預けに行った記憶が。銀行員役のひとは高学年のお兄さん、お姉さんたちだったと思うのけど、これもかなりあやふやな記憶。でもちゃんと通帳とかあったんですよ。

sx70may06japan-018.jpg私が行った日は土曜日で、校庭には野球をしているふたりの男の子とそのお父さんだけ。土曜日、学校休みなんですよね…笑 昔は全校生徒が1000人を超える小学校だったのですが、今は半分以下だとか。閑散としていました。

小さい頃好きだった、回旋塔はなくなっていました。回旋塔って名前だったよね?と不安になって、ググってみたのですが、ちょっと違うような。(大きな地球機がぐるぐる回るのは、私の中では回旋塔ではないのですが、これもそう呼んだりするんですね。)で、吊り輪みたいになってて、それにぶら下がって勢いよく回ったり、飛んだり跳ねたりするのが私の知っていた回旋塔なのですが、私の小学校にあったのは、もっと大きかったような記憶があります。上の方にある、輪っかみたいなのもなかったはず。でも子供だから大きく見えたのかもしれません。安全面からこういう古い遊び道具は、どんどんなくなっちゃうのかなーって、ちょっと寂しかったです。回旋塔から手が滑って空を飛んで、擦り傷を作るもの楽しい経験だと、個人的には思うのですけどね。

3年生の時に、新任の先生で担任だった人が、今はここの教頭先生だと聞きました。私の中でいなかの時間は18で東京で生活し始めた時から止っていたりするのですが、確実に時は流れているのだなーって思いました。

中学校。
小学校から徒歩5分くらいのところにあります。木造の体育館(というよりも講堂と呼ばれていたかも?)がなくなって、ピカピカのができてました。こちらも閑散としていて、窓の外から覗いた教室の中は、机が20くらい。ひとクラス40人近かった私の頃に比べて、ずいぶんと余裕のある教室になっていました。

sx70may06japan-017.jpgまだ残ってるかなーと、ちょっと心配だったのがこのくすのき。→
健在でした。:D
私がここの生徒だった頃、校庭の整理、校舎の整備とかでこの木を切り倒す、という話がでました。その時、生徒達から反対の声があがり、生徒会(懐かしー)でくすのきを切り倒すなーという議題でみんなで話あいました。特に何か深い思い入れがあったがどうかは不明ですが、当時この木がなくなってしまうことがとても嫌だった記憶はあります。校内放送の連絡で、「××部のひとは○○時にくすのきの下に集合してください」なんていうのがよくあったので、ある意味、私たちの学校生活の一部だったのかもしれません。:)

しかし、学校での事件が多い今日この頃、部外者が簡単に入れて、あちこち覗いて、写真まで撮れちゃうのっていいのかなーってちょっと不安になりました。と同時に、いつまでもそういうことができる、のんびりとした安全な場所であってほしいな、とも思いました。

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